2014(平成26)年 御岳山お盆接心 山下良道(スダンマチャーラ比丘) 法話
3 thoughts on “14/08/15 一粒の麦もし死なずば”
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今回の先生のお話は 全て本音ベースで話していただき 瞑想の位置付けなども冷静なものでした。ただ 最後に残る 「青空」に出会う契機が最悪の事態という他律的なものであること また青空が何を意味するかが、雲ではない主体とか、思いの手放しができている状態ということで 説明されてますが どうしたら そうなるかが、訓練なのか 何かの啓示見たいみたいなものなのかまだ分かりにくく思います。いわく不可思議なものなのでしょうか?
私の言葉使いが、混乱しているような気がします。
先生のお話を丁寧に聞くと、生と死という言葉は、「主導権を保持しているか、譲り渡してしまったか」という喩え、つまり「主体としての生と死」という意味で使われている場合と、文字通り素朴に、「生きている、死んでいる」という意味で使われている場合とがあるようですね。
やはり言葉だけで理解するのはちょっと難しいのかもしれません。
このところの法話は、簡単なようで、意外と難しいですね。
シンキングマインドが、生きながら、シンキングマインド自身を殺そうとするゾンビ(死にぞこない)状態は精神の自殺であり、シンキングマインドが正しく死んで(成仏して)くれたら青空が見えるということになるのでしょうか。生きることが死であり、死ぬことが生であるような、微妙なお話でした。
先発ピッチャーは、リリーフピッチャーが控えていることを知らず、交代を告げられた瞬間、ショック死してくれるのでしょうか。