One thought on “15/08/23 「映画」をみんなで一緒に見るときに

  1. 「自分は勝手に上映されていた映画館そのもので、映画館すら消えた世界、
    映画館自体が実態がなく、登場人物でもない。映画館の構造を観ている私、
    映画館が消えても存在している私。」について感服致しました。
    どんな時どんな所にも、ひっそりと存在している「私」に気づくのが瞑想なのでしょうか。
    映画館が無ければ、映画を観ることもないのに、何故自分で映画館を創りあげたのか
    というと、それは、自分で映画を観ることを受け入れたからであり、映画を観ることが、
    きっと楽しい幸せなことだと思い込んだからだと思います。
    それは、例えとした「30もの伝統ある仏教の宗派」も、それぞれの映画であった
    ということなのでしょうか。そして誰でも統合できるものなのでしょうか。
    映画を観るようになった要因の一つが、各宗教各宗派のドグマだったのでは、
    とも思います。
    入門者は「映画」によるオリエンテーションが何故か必要で、夢を見ることも
    映画を観ることも、一つの道を歩む者としての反省のための調味料・原動力であり、
    苦痛や不安を以て支払をしなければならない「お代は見てのお帰り」の
    お化け屋敷やホラー映画だったのですね。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です。

CAPTCHA


このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。