2016(平成28)年 京都 春彼岸接心 山下良道(スダンマチャーラ比丘)
One thought on “16/03/20 勝ち戦のための「宇宙としてのわたし」”
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2016(平成28)年 京都 春彼岸接心 山下良道(スダンマチャーラ比丘)
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法話の後半、質問者のお話・・・人生のベテランの方々が登場され、現実に即した様々に有意義な内容、楽しく拝聴させて頂きました。ありがとうございます。
山下先生は宗教者ですから、宗教的理想と自らの説を語るのは当然です。
参加されている皆様方も、現実は現実として先生の語る理想世界に近づくべく?熱心に接心に参加されている、「自分の人生に熱心な方々」ばかりなのだな・・・と厳しい中にも?和気あいあいとした雰囲気を感じました。
この度の御法話を聞いて、原始仏教経典で過去に読んだことのある一節を思い出しました。それは、「第2の矢を受けない」という内容だったと思います。
ある人間から自分(修行者)が矢(1本目に矢)で射られてしまった。その矢で私(自分)は確かに肉体的な苦しみは生じるだろうけど、修行を重ねて来ている自分は「精神的な苦しみのもとである「2本目の矢」は受けることはないのだ・・・」という内容の教えでした。(はっきりしないで申し訳ありません。)
現実世界の中で、経済活動をしながら生きている私たちにとって、「生老病死」の問題は、はるか彼方空想の世界の出来事のように受け取られるものです。
ですが、山下先生の説かれるように「青空の世界があるんだよ。」そして、「その世界を目指すんだよ。」と言う教えは、お釈迦様が教えられるように「第2の矢を受けない」ことに繋がっていくのではないでしょうか?
そうであるなら、一見現実離れした話の内容であっても、聞いて挑戦する価値のあるものと言えます。
瞑想の世界は、長い長い積み重ねの世界です。お互いに頑張って、これからも「その世界を目指したい。」と感じさせる御法話でした。
ありがとうございます。