2016(平成28)年 日曜ワンダルマ坐禅会 山下良道(スダンマチャーラ比丘)
お詫び 最初に、間違えて、うっかり先週の御岳山お盆接心の音声ファイルをアップしていました。友人から間違いを指摘されて気づき、先ほど今回の音声ファイルをアップし直しましたので、それをお聞きください。既にダウンロードされたかたは、再ダウンロードしてください。大変にご迷惑をおかけしました(8月22日、午前9時)
2016(平成28)年 日曜ワンダルマ坐禅会 山下良道(スダンマチャーラ比丘)
お詫び 最初に、間違えて、うっかり先週の御岳山お盆接心の音声ファイルをアップしていました。友人から間違いを指摘されて気づき、先ほど今回の音声ファイルをアップし直しましたので、それをお聞きください。既にダウンロードされたかたは、再ダウンロードしてください。大変にご迷惑をおかけしました(8月22日、午前9時)
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御法話、お疲れ様です。
「苦しい~」、「苦しすぎる・・」とは、御法話の中で話されているある女性瞑想者の言葉だそうですが・・・私も同意見です。
個人的な意見で批判を受けるかも知れませんが・・・数年前から私は「我々の住んでいるこの世界は、もしかしたら「経典にある地獄という世界そのもの」なのではないか?」という思いが強くなって来ました。
仏典で描かれる「地獄世界」、その全てが「我々の住むこの世界には揃っている」ように思われるからです。(考え過ぎ・・・???)
もし、この世界が地獄界だとしたら、「その世界に、しっかりと結びつけて離さないという強い力(業の力)」をも感じ、その意味では「この世(世界)というのは完璧に出来ているのだな・・・」という予感(?)がします。
ゴータマ・ブッダは、生きながらにして完全に「この世界から離脱し、再生してこない。」ことを目指しました。また、それを自ら達成し、修行法を理論と共に完成させたところが何より偉大だと思います。(誰もが認めている部分でもありますが・・・。)
「凡夫(ぼんぷ)は、欲望と貪りとに執著(しゅうじゃく)しているが、眼(まなこ)ある人はそれを捨てて道を歩め。この世の地獄を超えよ。」(中村元訳「ブッダのことば」(スッタニパータ)第三章七0六)と経典では教えています。