2016(平成28)年 大阪坐禅会 in 大念寺 山下良道(スダンマチャーラ比丘)
One thought on “16/10/16 「鏡を磨いて磨いて、限りなく透明にしていく」という落とし穴を脱する”
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生ごみをスルーしている修行者がかなりいると思う。何十年座禅しても生ごみはなくならない。巧妙に隠されている。どうにもこうにもごまかすことができなくなって自己の深い闇、業に直面せざるをえなくなったものだけが青空に気付く可能性ある。
それほど自我のつくる闇は巧妙で深い。自分自身の生ごみはそれほど巧妙に隠蔽され、自己を欺く。釈迦はこの心の構造・仕組みに気づいたということか。心の生ごみの部屋をやむなく開けざるをえなくなったものを親鸞は悪人と呼んだ。善人なおもて往生す、いはんや悪人おや・・・。