18/10/21 マインドフルに全くなれない私の絶望の果てのお浄土 Posted on 2018年10月22日2018年10月22日 by onedhamma_ryodo 2018(平成30)年 広島マインドフルネスの会 in 妙慶院 山下良道(スダンマチャーラ比丘) http://ia902907.us.archive.org/22/items/OneDhamma2018/OneDhamma_181021.mp3
命がけで只管打坐によって苦しみから脱しようとされたのに、20年間も結果が出せなかった先生の絶望感は、察するに余りあります。パオメソッドで「二重構造の私」の青空側に至られて、本当に良かったですね。 座禅で悟れない絶望感は、この世で何十年間も、各々、人生上の深い苦悩を抱えている一般人の絶望感とも、重なるものだと思います。 すなわち、人によって異なるこの世のあらゆる種類の苦悩に、各々が絶望することが、仏教によって救いを与えられる、前提条件のような気がします。苦悩し、絶望する人にこそ、仏教は初めて他力として、開かれる宗教なのでしょう。 マインドフルネスへの絶望感と救済だけでなく、人生全般の苦悩と救済をテーマに、広く汎用化した法話を、今後いただくことができたら、聴講者としては、より嬉しく思います。 そして、その結果として、先生の教説とワンダルマメソッドが、もっともっと大きく広まるように感じました。 返信
命がけで只管打坐によって苦しみから脱しようとされたのに、20年間も結果が出せなかった先生の絶望感は、察するに余りあります。パオメソッドで「二重構造の私」の青空側に至られて、本当に良かったですね。
座禅で悟れない絶望感は、この世で何十年間も、各々、人生上の深い苦悩を抱えている一般人の絶望感とも、重なるものだと思います。
すなわち、人によって異なるこの世のあらゆる種類の苦悩に、各々が絶望することが、仏教によって救いを与えられる、前提条件のような気がします。苦悩し、絶望する人にこそ、仏教は初めて他力として、開かれる宗教なのでしょう。
マインドフルネスへの絶望感と救済だけでなく、人生全般の苦悩と救済をテーマに、広く汎用化した法話を、今後いただくことができたら、聴講者としては、より嬉しく思います。
そして、その結果として、先生の教説とワンダルマメソッドが、もっともっと大きく広まるように感じました。