19/10/13 二重構造を行ずれば、したがひて現成公案す Posted on 2019年10月13日2020年1月18日 by onedhamma_ryodo 令和元年(2019) 奥多摩御岳山 神無月接心 山下良道(スダマチャーラ比丘) http://ia802909.us.archive.org/12/items/OneDhamma2019/OneDhamma_191013.mp3
池田晶子さんのリマーク 「 存在が謎なのではない 存在すら謎を巡って動いている 謎のみが存在する なぜ全ては謎として現われるのか 謎が謎なのはなぜなのか 究極の不可能 問うことの自滅 」 この世界観、 このあたりが哲学と宗教の違いかも知れない と、今回の法話を聞いていて勝手に思いました。 先生のご法話の中で、 「 映画の制作者というのは映画の外にいる、 はずだったのが、いつのまにか映画の登場人物として見てしまう 」 ここらが特に、本当に絶望中の私にはピンと来ます。 いつも救っていただいて、ありがとうございます。 このあたりも哲学と宗教の違いですね。 でも、 第5図の、外の私も存在する意識である限り、 自分探しの旅なのかな? 昔の法話で「自分探し」って聞いたような。 誰もコメントがないので、 三回もコメントしたから気持ちも晴れて、 これからは恥ずかしいので控えます。 , 返信
池田晶子さんのリマーク
「 存在が謎なのではない
存在すら謎を巡って動いている
謎のみが存在する
なぜ全ては謎として現われるのか
謎が謎なのはなぜなのか
究極の不可能
問うことの自滅 」
この世界観、
このあたりが哲学と宗教の違いかも知れない
と、今回の法話を聞いていて勝手に思いました。
先生のご法話の中で、
「 映画の制作者というのは映画の外にいる、
はずだったのが、いつのまにか映画の登場人物として見てしまう 」
ここらが特に、本当に絶望中の私にはピンと来ます。
いつも救っていただいて、ありがとうございます。
このあたりも哲学と宗教の違いですね。
でも、
第5図の、外の私も存在する意識である限り、
自分探しの旅なのかな?
昔の法話で「自分探し」って聞いたような。
誰もコメントがないので、
三回もコメントしたから気持ちも晴れて、
これからは恥ずかしいので控えます。
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