22/03/13 「無我」と「非我」のあいだの無限の距離

令和四年(2022) 鎌倉マインドフルリトリート 山下良道(スダンマチャーラ比丘)

『青空としてのわたし』の書評(1)
              (2)         

【ウクライナ風ボルシチ】*ビーツの甘みが溶け込んだ本場ウクライナの本格ボルシチの作り方

 

6 thoughts on “22/03/13 「無我」と「非我」のあいだの無限の距離

  1. 山下先生、こんばんわ。

    ヤフー検索からはは見れますが、グーグル検索からだと一法庵に入れません。多分、セキュリティロックされたんだと思います。

  2. 山下先生、ご返信ありがとう御座います!

    さっそく読んでみようかと思います。

  3. 山下先生、こんにちは。

    池袋での瞑想会ではちょっとお世話になりました。長年、山下先生の活動は謎でしたが、この法話である程度理解出来たように思います。

    さて、質問が3点あります。

    1.魚川さんとの対談「仏教思想のゼロポイントについて」で、山下先生は「午前3時の時点でのチッタを観ろ」というパオ・セヤドーの指導に困惑されたような発言をされてましたが、あれは解消されたのでしょうか?

    2.大乗の起源は涅槃そのもの(ナーマルーパの消滅)を観る⇒非我である、というのは仏教徒なら常識的なレベルでの「歴史的な事実」なのでしょうか?

    3.ナーマルーパの消滅を観ることが可能(午前3時の時点で午前3時の消滅を知ることが可能)である、とはパーリ経典に記されているのでしょうか?

    以上、宜しくお願い致します。

    1. はい、これに関して、ここで殆ど答えてるかと思います。https://www.onedhamma.com/st-odf-odf/ まずは、これをお読みください。

      1. 山下先生、読ませて頂きました。

        疑問点はかなり解消されました。ありがとう御座います。

        私が勘違いしていたのは、午前3時の時点で午前3時を認識出来る、というのは単なる「論理的帰結」だと思っていた点です。

        ナーマルーパが消滅してから現象世界に蘇るのはナーマルーパを超える「何かがある」、という論理的推測。という意味です。

        しかしながら、山下先生は瞑想体験として実際に午前3時の時点で午前3時を認識された。

        すると、テーラワーダの瞑想や教義そのものがひっくり返るように個人的には思います。

        テーラワーダの涅槃理解、午前3時を午前3時で認識出来るという立場からすると、「まだまだ」ということになるかと思います。なぜ、テーラワーダではナーマルーパの消滅が涅槃であり、瞑想のゴールとされているのか??

        正直、信じ難い「午前3時を午前3時の時点で認識出来る」です。

        1. はい、だから、「謎のX」と呼んでるわけです。我々の今までの世界観からは理解できない。でも、実際の瞑想体験としては、それは起こる。しかもテーラワーダの最も正統的な先生のもとで、4年間毎日瞑想して、インタビューを受けて。そして先生からもその体験は認められた。でも、相変わらず、理解できない。となると、今までの世界観が間違っていたというのが、「論理的帰結」です。これはとんでもないことです。ここから、大乗仏教そのものが生まれたのだから。勿論、パオセヤドーはそこには一切立ち入らないです。でも、セヤドーと私が経験したもの(それは同じ)の意味を追求するとそうなるのです。何故、私にそれが出来たかというと、元々私は大乗仏教のお坊さんで、いわば「答え」を知っていたから。まあ、こんなことをあれこれ話してもしようがないので、瞑想でお確かめください。最近は、池袋ではなく、目黒不動尊瀧泉寺でやってます。鎌倉以外。ちょうど9月7日(土曜)もありますよ。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です。

CAPTCHA


このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。