22/12/04 坐禅の準備運動をアップデートします Posted on 2022年12月4日2022年12月5日 by onedhamma_ryodo 令和四年(2022) 鎌倉マインドフルリトリート 山下良道(スダンマチャーラ比丘) 普勧坐禅儀 お腹と亀の運動 みぞおち捻り運動 The Complete System of Self-Healing: Internal Exercises http://ia803409.us.archive.org/26/items/OneDhamma2022/OneDhamma_221204.mp3
ご返答ありがとうございます。まさか冒頭でかなりの分数を割いて返答してくださるとは思いませんでした。感謝感激しています。 私のコメントがきちんとしていなかったと反省しています。これは失礼になると思い、他人に公開しないようにしていることも含めてきちんと書きます。 ミャンマーの瞑想センターでの、瞑想での出来事です。 時間とともに瞑想が進展していきました。身体の骨が見えて、頭蓋骨が見えて、頭の頭蓋骨を固いひもで縛るような感覚があって、背骨が見えて、腰骨 が見えて、皮膚が紙のように薄くなって上半身が透明になった後、「強い眠気」を念じる必要に迫られました。 念じる対象が心の中に現れると、その対象に影のようにべったりと引っ付いたように、自動的にすばやく念じられるようになったので、「強い眠気」と 「念じる自分の心」が同時に存在しているような感覚を経験しました。 念じる感覚を一つの「点」とするなら、この「点」がすごい速さで連続して現れるようでした。これが、瞬間定なのかと思いました。 瞑想センターから配布された指示書には、同じ種類の心が連続して次から次に生じては消えていくので、「強い眠気」と「念じる自分」も交互に、連続 して次から次に生じては消えていくから、2つの心が同時に現れるように見えるのだと理解しました。 これは、「タンタティピッソパン」と呼ばれるそうです。 私の考え方の理解が正しいなら、上座部は、一重構造で、色は空だが、空は色ではない、瞑想とは、瓦を磨いて宝石にする、業や、果を信じるという考 え方からくる解釈なのだと思いました。 帰国後、山下さんの書籍を読んで、山下さんのワンダルマの考え方をまとめよう、と思いました。 「マインドフルネス×禅」であなたの雑念はすっきり消える という書籍の、第四章 禅とマインドフルネスを読みました。私の理解が正しいなら、この 「眠気」と「念じる自分」の経験は、二重構造のほうがしっくりとくると思いました。 ただの誤解かもしれませんが、集中力がつよくなれば、より一層念じる速さは正確になます。そのとき、私が念じるというよりも、「もうひとつの私」が 念じる、と理解したほうが、「正解」だと思いました。 どれだけ読み取れたかは疑問ですが、「マインドフルネス×禅」であなたの雑念はすっきり消えるの内容は今現在、私個人の感想でしかないですが、詳しく 調べる必要がある、と考えています。 ただ、私の今の瞑想の状態や、知識では、山下さんが、大乗仏教なのか、上座部を支持しているのか見えずらかったり、最後韓国のお寺で大乗仏教に復帰し たとあるので、「ああ、大乗なのか?」と思いました。じゃあ、山下さんは、名色分離智などの「梯子」を設定するのか、大乗だから、「何もない」とする のか分からなくなりました。 おそらく、私の理解が足りないから、混乱したんだと思います。まだ、自分がしているメソッドを理解していないのでしょう。もうすこし瞑想をしなければ いけないと思います。 返信
ご返答ありがとうございます。まさか冒頭でかなりの分数を割いて返答してくださるとは思いませんでした。感謝感激しています。
私のコメントがきちんとしていなかったと反省しています。これは失礼になると思い、他人に公開しないようにしていることも含めてきちんと書きます。
ミャンマーの瞑想センターでの、瞑想での出来事です。
時間とともに瞑想が進展していきました。身体の骨が見えて、頭蓋骨が見えて、頭の頭蓋骨を固いひもで縛るような感覚があって、背骨が見えて、腰骨
が見えて、皮膚が紙のように薄くなって上半身が透明になった後、「強い眠気」を念じる必要に迫られました。
念じる対象が心の中に現れると、その対象に影のようにべったりと引っ付いたように、自動的にすばやく念じられるようになったので、「強い眠気」と
「念じる自分の心」が同時に存在しているような感覚を経験しました。
念じる感覚を一つの「点」とするなら、この「点」がすごい速さで連続して現れるようでした。これが、瞬間定なのかと思いました。
瞑想センターから配布された指示書には、同じ種類の心が連続して次から次に生じては消えていくので、「強い眠気」と「念じる自分」も交互に、連続
して次から次に生じては消えていくから、2つの心が同時に現れるように見えるのだと理解しました。
これは、「タンタティピッソパン」と呼ばれるそうです。
私の考え方の理解が正しいなら、上座部は、一重構造で、色は空だが、空は色ではない、瞑想とは、瓦を磨いて宝石にする、業や、果を信じるという考
え方からくる解釈なのだと思いました。
帰国後、山下さんの書籍を読んで、山下さんのワンダルマの考え方をまとめよう、と思いました。
「マインドフルネス×禅」であなたの雑念はすっきり消える という書籍の、第四章 禅とマインドフルネスを読みました。私の理解が正しいなら、この
「眠気」と「念じる自分」の経験は、二重構造のほうがしっくりとくると思いました。
ただの誤解かもしれませんが、集中力がつよくなれば、より一層念じる速さは正確になます。そのとき、私が念じるというよりも、「もうひとつの私」が
念じる、と理解したほうが、「正解」だと思いました。
どれだけ読み取れたかは疑問ですが、「マインドフルネス×禅」であなたの雑念はすっきり消えるの内容は今現在、私個人の感想でしかないですが、詳しく
調べる必要がある、と考えています。
ただ、私の今の瞑想の状態や、知識では、山下さんが、大乗仏教なのか、上座部を支持しているのか見えずらかったり、最後韓国のお寺で大乗仏教に復帰し
たとあるので、「ああ、大乗なのか?」と思いました。じゃあ、山下さんは、名色分離智などの「梯子」を設定するのか、大乗だから、「何もない」とする
のか分からなくなりました。
おそらく、私の理解が足りないから、混乱したんだと思います。まだ、自分がしているメソッドを理解していないのでしょう。もうすこし瞑想をしなければ
いけないと思います。