令和五年(2023) 鎌倉マインドフルリトリート 山下良道(スダンマチャーラ比丘)
注意:映画「PLAN75」の結末について、かなり突っ込んで話しています。ネタバレになりますので、まずは映画をご覧ください。
・サムサーラへの道
「大食いをして、眠りを好み、転げまわって寝て、まどろんでいる愚鈍な人は、大きな豚のように糧を食べて肥り、くりかえし母胎に入って(迷いの存在をつづける)。」
・ニッバーナへの道
「バラモンよ。流れを断て。勇敢であれ。諸の現象の消滅を知って、作られざるもの(ニッバーナ)を知る者であれ。」
2018年の仏跡巡礼で、霊鷲山のうえで夕陽を見つめました。西方浄土を実感。
一法庵の座禅会の締めとして、必ずダルマ・シェアリング(山下先生とのガチンコの対話)というものが有ります。
この場で、もし自身を素直に曝け出す事が出来れば、かなり清々しい心持ちになります。
何度も何度もコメントして、
申し訳ありません。
伊藤先生、山下先生、
本当にありがとうございます。
この際だから、
恥を承知で、
気づいたことを、
吐き出します。
終いには怒られること、
覚悟してます。
今回ギブアップして、
理解できたように思います。
なぜ慈悲の瞑想を、
するのかがです。
私は青空を、
神様を信じています。
神様によってこの世界が、
創られていると思っています。
創り続けられている、
この瞬間なら、
神様が創るのだから、
神様から私は、
切り離されている、
わけはありません。
完璧です。
では神とエゴなんて、
二つの存在はないです。
すべては、
あらゆるものは神。
青空であることを、
忘れていた私(雲)が、
雲に一体化してた私(青空)が、
ありのままに青空を、
受け入れるためには、
私の前にある人や、
生きとし生けるものを、
とにかく愛することしか、
ないと思いました。
とにかくこの星、
を完全に受け入れる。
今ごろ気づきました。
自分が他より、
優れていると思っていると、
他人に慈悲は持てませんし、
自分が嫌いなら、
自分を愛することも、
できません。
と思いました。
自分を、他人を、
この星を、
自分を愛するように愛する。
まず自分を。
この瞬間に。
この瞬間が自分になって、
目の前に現れる全てを、
ふりでもいいから、
できる限り、
愛することにしました。
生意気言ってすみません。
生意気シャルロットです。
ありがとうございました。
慈悲の瞑想で一番難しかったのは私の場合、私自身への慈悲でした。「私が幸せでありますように、私が苦しみから救われますように」と願う慈悲の瞑想は何故か私にとって難しいものでした、
ありがとうございます。
伊藤先生はとってもステキで愛にあふれていますね。
まるで、藤田一照先生をイメージしました。
わたしは、今は、もうこれでいいのです。
何も変えたくないし、変える必要もないのです。
青空を感じます。
失礼します。
伊藤”先生”ではありませんよ(笑)ただのだらしのない、おっさんです。
一照先生と似ているところは唯一、坊主頭とメガネをかけているところだけ。
あっ!もう一つだけ似ている点があるかも。
真理や救いを真剣に求めている点は一照先生や山下先生と同じだと、思っています。
伊藤先生には、
花の香りを感じます。
私も花の香りを、
選択します。
苦しくても、
どうってことないです。
花の香りはステキですね。
ストックのような、
優しい香りです。
私は花の香りどころか、加齢臭しか、しませんよ(汗)
でも鎌倉一法庵を実際に訪れると、浜辺の磯の、そしてお線香の凛とした香りを体験出来ますよ
私のようなちょっと変わった者が現れても、楽しい気持ちにさせていただきありがとうございます。
それは、伊藤先生が、どんな人が現れても、その人に対する思いやりを持っているからだとわかります。だから‘先生’です。
相手への理解が心の中にいつもあるのですね。
伊藤先生は選ばない人です、だから花の香りがします。
ありがとうございました。
敦子さま、すみません、おっしゃりたいこと分からないのですが。何故これが叱られるかもしれないと思ったのですか?
ワンダルマメソッドが、何故慈悲の瞑想をあそこまで重視してるのか。まさに、ここ書かれてる理由の為に、我々は慈悲の瞑想をしてるのですよ。ということは、今までずっと慈悲の瞑想を毎日しながら、その理由が分からなかったということですか?でも遂に、その本質が分かったということですか?
こういうことは、リアルな瞑想会だと、ダルマシェアリングで、たった一回で完了する話しです。一人でやる事はやはり、限界があります。リアルな瞑想会にとにかくおいでくださいね。時間を無駄にしないためにも。
ありがとうございます。
わたしが一日一度の瞑想と言ってるのは、
体の調子が良いときにしかできないからです。
実は頭の治せない病気で、
死にはしないと医者もいってるのですが、
瞑想してる時も本当は苦しくて、
重い、痛み、拍動、耳鳴りがひどい中してます。
自分でもよくやれると信じられないです。
頭の中が凄い音なのです。
一方庵様を知る前からです。
せめて世界観だけでもと思い。
瞑想はできなくて、
慈悲の瞑想だけ唱えていました。
スマサ先生の本のあれです。
瞑想会に出たくない訳がありません。
本当は飛んで行って出たいのですが。
無理なことは自分が一番知っています。
車にも電車にも長くは乗れない。
でも、先生のご法話は喜びです。
ご迷惑おかけします。
このコメントも必死で書いてます。
長くは書けないのですが書きたい。
慈悲の瞑想のことは、
本当にそう感じたから、
うれしかったから書いただけです。
それだけです。
何の理論も方法もないです。
誰かに褒めて欲しいとか、
説明とか、
一切ないです。
叱られると思ったのは、
ひつこい人ねと、
迷惑だわと、
たぶん思われていると、
思っているからです。
山下先生
伊藤先生
まで巻き込んで
本当にご迷惑おかけしました。
ありがとうございました。
どうもありがとうございます。
伊藤様や先生からお教えいただけるとは、
夢にも思いませんでした。
コメントして本当に良かっです。
エゴには勝てないと本心を言って、
スッキリしています。
安らかな気持ちもなく、慈悲も持てず、
死もないとも思えないわたしです。
わたしの人生は、
これ以上すばらしくはなりません。
わたしはいくら瞑想しても何も知らない、
何もよくならない。
ビリビリするばかりです。
エゴに勝てないとわかったら、
不思議に毎日が新鮮です。
瞑想は続けます。やめません。
エゴには勝てないと、
教えてくださりありがとうございました。
何かとっても不思議にスッキリしてます。
ありがとうございました。
たった一人ではエゴには打ち勝てない、とせっかく気付かれたのに。ここでエゴ討伐を諦めちゃうのは非常に勿体ないと思います。
個人的な経験ですが、瞑想を始めて、立ちはだかる最大のハードルは「オレが瞑想する(エゴに勝つ)」のを諦めること。そこから瞑想はようやくスタートを切れるのでは無いでしょうか?
「オレ(私)は私のエゴには勝てない」と気づけた敦子さんは、最大のハードルをたった一人で乗り越え、ようやっと瞑想の醍醐味を味わうスタートラインにたったのだと思います。
くどいですが、ここで「エゴ討伐」を諦めてしまっては、本当に勿体ないですよ(まあそうは言っても討伐されたく無いエゴが必死に抵抗してきます。エゴの抵抗に抗う為にも、一緒に座る仲間は必要だと思います
伊藤様何度もありがとうございます。
私にとってはもうその事そのものが、
エゴの働きなので、
どうしようもないのです。
私はエゴに勝てません。
後残されたのは、今、今日がすべて、しか残されていません。
この瞬間こそが青空と感じます。
そういう理由です。
こんなこと書いたら、
もうコメントできないですね。
ありがとうございました。
いつもありがとうございます。
毎日瞑想して毎日法話を聞いています。
次回の法話とっても楽しみです。
過去の脳の法話も聴き直したりしています。
座すると脚が痛くなって生活に支障がでるので、
食卓の椅子に座り瞑想しています、一日一回。
家の中にいる時は、いつでも体中が腰を中心に手足等に強い微細な感覚があり、腰がグルグルグルグルして最近失神するかもと思う事が一度ありました。
いつでも四、五回呼吸するだけで尾てい骨からグルグルと感じます。
メソッド中は、終わりまでビリビリは続いています。
今日コメントさせていただきましたのは、
本読んだりいろいろと、出来る限るのことはしているのですが、
わたしには、わたしに勝てないと、
無力を感じます。
ただ沈んで行く夕日を見ていくような。
勝てない無力。
わたしには勝てないです、勝てないとわかりました。
わたしにはブルースカイを理解することはできないし、
理解する必要もないし、ただ今日を生きるしかない。
生死の問題の解決も大きな目標値も、今がすべてだから、そんなふうに思います。
死んで行く事さえわからないのに、
死んだこともわからないと思うし。
ただこれを生きるしかなく、今しかないのに。
一度も瞑想会に参加したことがないのに、勝手なこと言ってすみません。
この第四図を作ったエゴに勝てないとわかりました。
抵抗は捨てます。
第四図の幻想に勝てない、抵抗は無意味ですね。
一方庵から外れてしまいました。
でも青空を見つけたいです。
ご法話ご指導心より御礼申し上げます。
こんにちは、唐突の返信、失礼致します。一法庵の瞑想会に参加しているものです。自分独りでは自分(のエゴ)に勝てない、と自覚出来た素晴らしい方なのですから、リアルな瞑想会になんとか参加して、そこでリアル導師の導きに従うのが自分に勝つ事が出来る一番の近道だと思いますよ←私のリアル体験(私も長くポッドキャストの法話とオンライン瞑想会への参加で充分だと、思い違いしていました)
敦子さま、最近はコメントがなかったので、どうしているかと思ってました。はい、エゴには勝てません。勝てる相手ではないのですよ。だから、我々は色々な方法を使います。エゴに勝ったひとの近くにゆくことが、一番の近道。私も内山興正老師、ティク・ナット・ハン 師、パオセヤドーの近くにゆきました。その先生達の周りには、エゴに勝ちつつある人達=サンガがあります。その中に身を投げること。それが、最重要です。日本にお住まいなのだから、それも可能では?鎌倉は遠いでしょうが、関西などでも予定してますので、是非、リアルな瞑想会においでください。この伊藤さんも、参加しています。よろしくお願いいたします。
初めまして、こんにちは。数年前から鎌倉一法庵の瞑想会に不定期に静岡県から参加している伊藤と申します(私も敦子さん同様にアーカイブを含め、山下先生のポッドキャスト法話の95%位は聞いていて、先生の著作もほぼ読み込んでいます、がまだ半端者です)
敦子さんが一法庵ホームページに寄せられたコメントを拝見して
自分独りでは自分(のエゴ)に打ち勝つ事が出来ない、と敦子さんがたった1人で座りながら気づいたことは本当に素晴らしい事だと思います。だってこの気づきは、裏返せば、もし自分が独りで座るのでは無くて、正しい導きをしてくれるお師匠さんさや仲間等と共に瞑想をすることができるのであれば、自分(のエゴ)に勝てる!という可能性に気づいたという事でもあるのですから。
瞑想を始めた端からリアル瞑想会に参加してきた自分なんか、瞑想会に参加しながらも初参加からしばらくは「オレ(様)」が努力して、頑張って瞑想し自分(エゴ)に勝つんだ!と息巻いて、ことごとく討ち死にしてきました(先生の話に出てきたパオ僧院に集ったオレが頑張る系の欧米人と同様に)
そんな伊藤に比べれば、オレ「私」ではオレ「私(エゴ)」に勝つことは出来ないと、たった一人で気付いた敦子さんはすごい!と思います。
ただ独りで頑張って座っていると、どうしてもオレ「私」が頑張らなければならない状況に陥りがちで結果、「オレが頑張ってやらねばならない瞑想」になってしまい、マインドフルネス(そもそも先生はオレがマインドフルネスになる事は不可能だと仰っています)とは真逆の状態に陥ってしまう様に思います。
オレ「私」の身を投げだして、お師匠さんに自身の全てを委ねることが出来る場が瞑想会であり、サンガなのだと思います。
そしてこの「オレがする瞑想」では無い瞑想(オレがしゃしゃり出てこない瞑想)を一度でも瞑想会で体感する事が出来たら、(その清々しい心持ちに)病みつきになりますよ(笑)
リアル瞑想会への参加が難しいようであれば、まずはオンライン瞑想会(テレビ電話を通しての瞑想会)の参加をご検討されてはどうでしょうか?山下先生に連絡を取ればすぐにオンライン瞑想に参加できるようになります。