14/07/13 「こころのケア」入門 Posted on 2014年7月14日2014年7月17日 by onedhamma_ryodo 2014(平成26)年 京都坐禅会 山下良道(スダンマチャーラ比丘) 法話 http://ia600205.us.archive.org/10/items/Onedhamma2014/OneDhamma_140713.mp3
師の活躍が拡がり いろいろなところに波紋が起こされていること 釈迦を信じている者にとってうれしいことです。 仏教1の臨床の欠如していること 仏教2の心のリアリズムの解明に優れていることという問題提起には まったく同感です。ただ 日本の規規制仏教の 仏性的考えが わけのわからない リアリズムにかけた 呪文のように説明されながら 仏教1を克服されるために 「青空」という言葉を唐突に出されるのは 同じ病に陥っているのではないでしょうか。瞑想法の違いの中からこうした考えが流出するというお考えなら 仏教2そのままでよいことになるし 2の問題点の指摘については大乗の考えを 密輸しているようにも見えます。その折衷プロセスが 外在的で 師の経験を 内在的に説明していない気がします。どうか 対比のまえに 画期的試みをもっと熟させてご説明していただかないと挫折する気がします。多分仏教1の、例えば只管打座についての 一方では批判 一方では 取入れという 中途な考えで3を説明しようとしているからだと思います。師の問題提起が すごいと思うからこそ 安易に既存のものと妥協してほしくないと思います。 返信
師の活躍が拡がり いろいろなところに波紋が起こされていること 釈迦を信じている者にとってうれしいことです。 仏教1の臨床の欠如していること 仏教2の心のリアリズムの解明に優れていることという問題提起には まったく同感です。ただ 日本の規規制仏教の 仏性的考えが わけのわからない リアリズムにかけた 呪文のように説明されながら 仏教1を克服されるために 「青空」という言葉を唐突に出されるのは 同じ病に陥っているのではないでしょうか。瞑想法の違いの中からこうした考えが流出するというお考えなら 仏教2そのままでよいことになるし 2の問題点の指摘については大乗の考えを 密輸しているようにも見えます。その折衷プロセスが 外在的で 師の経験を 内在的に説明していない気がします。どうか 対比のまえに 画期的試みをもっと熟させてご説明していただかないと挫折する気がします。多分仏教1の、例えば只管打座についての 一方では批判 一方では 取入れという 中途な考えで3を説明しようとしているからだと思います。師の問題提起が すごいと思うからこそ 安易に既存のものと妥協してほしくないと思います。