One thought on “17/08/11 「ジャーナ」と「第五図」が、サティを混迷から救う

  1. はじめまして。今年になって「アップデートする仏教」を拝読し、ポドキャストで法話を拝聴しておりました。今回の法話の冒頭で、「苦諦がわからない人っているのよねw。そういう人は一法庵に来ないでしょうけど」とおっしゃられていましたが、私は苦諦がわからない輩の一人です。法話は古い初心者向けかなと思われるのから選んで聴いていましたが、途中から今年の法話を順に聴きはじめてようやくキャッチアップできたところでした。実は5月から6月の法話で4図5図の説明を繰り返し聴いているうちに魔境に落ちてしまいました。苦諦がわからない故かもしれません。つまり、この世界が繰り返し否定的に語られることが、だんだん辛くなっていったのです。そして、この世界がそんなに苦に満ちているなら、5図があって誰も死なないのだから、いっそ丸ごと破壊してしまった方が、皆の幸せではないか…..それではオウムのハルマゲドンやポアにも一理あると認めてしまうことではないか……ひどく重苦しい気分に陥ってしまいました。7月の法話のお題から、あそこまで行けば違う方向にいけるかと思い、それが頼りで、その通りでしたので、魔境にいたのは1.5日ぐらいでしたけどw。7月9日の法話で魔境について触れられていらっしゃったのには驚きました。前回の法話でも苦諦がわからない人のことを話されていて、人生苦しいこともあるけど、楽しいこともあるよね、というときの苦と釈迦のいう苦とは違うとおっしゃられていたように思うのですが、その点はもう少しお聞きしたい気がしています。
    苦諦がわからない能天気なヤツでも法話を聴いていたのが一人はいたという証拠として。

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