2018(平成30)年 青空の瞑想の会 in 目黒不動尊 山下良道(スダンマチャーラ比丘)
2 thoughts on “18/12/23 「青空のなかの私」と「大地に根づいた私」”
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山下先生、インドの旅、お疲れ様でした。
Mさまのコメントに便乗するようで恐縮ですが、このコメントは、ポッドキャスト聴講者にとっても、ワンダルマ瞑想を成功させるにあたり、非常に重要なキーポイントだと思います。
つまり、「慈悲(第五図、青空)の場所に、慈悲の瞑想の第一フレーズで到達していないと失敗」ということは、
①微細な感覚を感じ取るという、瞑想の最初の段階で、感じ取れていないと、既に失敗
あるいは、
②微細な感覚を感じ取れても、その後、慈悲の瞑想第一フレーズで到達していないと失敗
の、どちらかだと思います。
私的には、①だと感じています。
微細な感覚さえ明瞭に感じ取れれば、第五図や青空に既にアクセスできる状態になっており、第五図や青空の視点に立つのは容易なのではないか、と捉えているからです。
どうでしょうか…? 正しいでしょうか…?
そして、今更ながらですが、不出来な聴講者に、微細な感覚を感じるためのコツを、伝授いただきますよう、どうぞよろしくお願い申し上げます。
山下先生、こんばんは。
この日の瞑想後に、「慈悲の場所に、最初の[私が幸せでありますように]の一発目で到達していないと失敗」というお話をされていたと思います。すみません、セリフは一言一句同じではないと思います。
そのジャンプの感覚が、いまだよく分かりません。一発目は、だいたい、何も感じないか、または、自分が憐れな感じで、たまに身体が震えたりしてます。今までの自分が可哀想で。
これは、エゴが動いているだけでしょうか?よく分からないのが現状です。
ご教示いただけますと幸甚です。