21/4/10 存在者としての私、存在としてのわたし Posted on 2021年4月10日2021年4月11日 by onedhamma_ryodo 令和三年(2021) 青空の黙想リトリート in 無原罪聖母修道院 山下良道(スダンマチャーラ比丘) http://ia903409.us.archive.org/26/items/OneDhamma2021/OneDhamma_210410.mp3
カントがニュートンの絶対空間理解(神の感覚器官 於 光学)を否定して、それを理念と位置づけたこと(於 自然科学の形而上学的基礎付け)が思い出されました。永井均の「世界を開闢する〈私〉」といった水準の機構はやはり、四大の次元と区別しなくては、その働きが十分に理解できないということだと思います。 かなり vivid に伺えたと思いますが、やはり瞑想は空時を同じうしないと難しいことだろうな、とも思いました。 返信
カントがニュートンの絶対空間理解(神の感覚器官 於 光学)を否定して、それを理念と位置づけたこと(於 自然科学の形而上学的基礎付け)が思い出されました。永井均の「世界を開闢する〈私〉」といった水準の機構はやはり、四大の次元と区別しなくては、その働きが十分に理解できないということだと思います。
かなり vivid に伺えたと思いますが、やはり瞑想は空時を同じうしないと難しいことだろうな、とも思いました。