17/04/02 「ニンジン教」のなかで、マインドフルネスが逆噴射する

2017(平成29)年 日曜ワンダルマ坐禅会 山下良道(スダンマチャーラ比丘)

「宗教色を出すのがタブー」という宗教からも自由になる (島田啓介氏ブログ)

写真は、島田氏の「ゆとり家」でのウォーキングメディテーション。

17/03/26 「これまでの何十年の人生がすべて間違っていた」という良き知らせ

2017(平成29)年 日曜ワンダルマ坐禅会 山下良道(スダンマチャーラ比丘)

東京マインドフルネスセンター ワークショップ集1仏教瞑想の多面的適用

日本に於けるマインドフルネスの歴史。

1,テーラワーダ仏教の長老たちと、ティク・ナット・ハン​ 師によって「Sati=マインドフルネス=気づき」が、1990年代ころより日本に伝わってきた。

2,一方、宗教性を排除したかたちの「マインドフルネス」が、セラピー、社員研修、学校教育などでアメリカを中心に広まり、その余波が日本にも届き始めた。ここ5年くらいか?

3,「宗教性排除」しているので、マインドフルネスがいったいどこから来たのかよくわからない、謎の流行語になる。でも、セラピーのジョン・カバット・ジンさんも、グーグルのチャディー・メン・タンさんも実は仏教の先生から学んだ。

4,NHKのマインドフルネス関連の番組も昨年時点では「宗教性排除」を番組の冒頭で強調していた。しかし、当の熊野宏昭さんが、最近、もしこれ以上「宗教性」の隠蔽をするなら、NHKにはもう出演しないと公の席で宣言。(先月のマインドフルネス学会で。友人談)

5,現代の局面は、いよいよ「マインドフルネス」と「仏教」の関係を真正面から見る必要がでてきた。

6,日本の禅僧たちの「マインドフルネス」に対する非常に深い「猜疑の目」は、いったいどこから来るのか?マインドフルネスは、彼らが言うように「主客を分ける」ものなのか?だからマインドフルネスなど忘れるべきなのか。それは只管打坐を汚す不純なものなのか?だから、曹洞宗の禅堂ではマインドフルネスを実践してはいけないのか????

7,実は、マインドフルネスとは仏教そのものだった。仏教=四聖諦→道諦=八正道→最重要なのが7番目の「正念」=Samma Sati= 正しいマインドフルネス。つまり結論は、仏教=正しいマインドフルネス。

8お釈迦さま&道元禅師のダブル遺言の「八大人覚」も最重要なのが、五番目の「不忘念」。その意味は勿論、「マインドフルネスを忘れるな」。

9,客観的にみて、お釈迦さまも、道元禅師も「マインドフルネス」を最重要なものとして位置づけているのに、何故、マインドフルネスが、現代の日本仏教では、素直に受け入れられないのか?ここが最大の謎。

10,マインドフルネスの原語、Satiは、「念」として漢訳されたが、この「念」を「マインドフルネス」とはきちんと解釈されてこなかったのが、東アジアの仏教のリアリティではなかったのか?

11,では、何故「念」がマインドフルネスではなくて、「思うこと」せいぜい「仏教の真理を思うこと」ぐらいの意味になってしまったのか?

12,「思う」ことと、「気づく」ことが峻別されなかったから。それは何故?理由は極めて簡単。実際にマインドフルネス瞑想をしなかったから。瞑想すれば、それがまったく別のものだとわかったはず。「マインドフルネス瞑想」を実際にリアルに伝える伝統が東アジアにはなかったのだ。私自身ミャンマーの森のなかで学び、腰を抜かした。マインドフルネスのあまりの深さに。

13,なので、「マインドフルネス」とは、東アジアの仏教の状況を、根本的に革新する、とてつもない可能性を秘めているというのが、現在の一法庵の立場。

14,私自身、「マインドフルネス」がわからなくて、30年も苦しんできた。仏教者としてのそれまでの人生の全否定を、何回も繰りかえさざるを得なかった。そうして、いまようやく、「仏教=マインドフルネス」だと断言できるようになった。

15,でも、お釈迦さまの遺言も、「マインドフルでいつづけなさい」だったのだから、「仏教=マインドフルネス」というのは、当たり前か。それを、「励め」とか、実にあいまいにしか翻訳してこなかった日本の仏教の現実。お釈迦さまの教えがちっとも理解できなかったのはしようがないなあぁ。

17/03/21 「只管打坐3.0」へ導く「ワンダルマ・メソッドの瞑想 最新版」

2017(平成29)年 京都春彼岸接心 山下良道(スダンマチャーラ比丘)

京都春彼岸接心の最終日の朝、瞑想インストラクションを録音しました。1時間7分です。最初に「八正道」の説明をしてますので、それをのぞくと、一時間弱で、「ワンダルマメソッドの瞑想」をすべて経験できます。最後は「アナパナサティ」の説明で終わってます。

そのまま アナパナサティ → 青空からのヴィパッサナー → 只管打坐3.0へ進んでください。

八正道の説明のなかで少し言い間違いがありますので、下記を参考にしてください。よろしくお願いします。

・正見(しょうけん )Right View,   sammā‑diṭṭhi,

・正思惟(しょうしゆい)Right Thinking,  sammā-saṅkappa

・正語(しょうご)Right Speech,  sammā-vācā

・正業(しょうごう)Right Action,  sammā-kammanta

・正命(しょうみょう)Right Livelihood,  sammā-ājīva

・正精進(しょうしょうじん)Right Diligence,  sammā-vāyāma

・正念(しょうねん)Right Mindfulness,  sammā-sati

・正定(しょうじょう)Right Concentration,  sammā-samādhi

17/03/12 マインドフルネスは、「色」と「空」を結ぶ橋なのか

2017(平成29)年 日曜ワンダルマ坐禅会 山下良道(スダンマチャーラ比丘)

東日本大震災犠牲者のために、太平洋に向かって祈りました。

17/03/05 「凡夫のための只管打坐」入門

2017(平成29)年 日曜ワンダルマ坐禅会 山下良道(スダンマチャーラ比丘)

駒澤坐禅会参加者の感想。「マインドフルネス=直訳:不忘念=超訳:非思量 <考えはないけれど意識はある>体験的に知る。好き嫌いを越える。
もう付け足すことない:只管打坐
澤木老師「坐禅しても何にもならん」(なぜ?)すべては完璧だから
非思量の只管打坐。思考が作った映像(映画)映写機を止める」

「只管打坐3.0坐禅会」於:駒澤大学坐禅堂

17/02/26 「不忘念」と「不妄念」の間に – 駒澤大学での坐禅会の始まりに

2017(平成29)年 日曜ワンダルマ坐禅会 山下良道(スダンマチャーラ比丘)