16/06/19 「青空の瞑想インストラクション」 with プラーナーヤーマ

2016(平成28)年 青空の瞑想の会 in 目黒不動尊 山下良道(スダンマチャーラ比丘)+ 板橋理江

16/06/19 2016年夏、「無心のマインドフルネス」発進

2016(平成28)年 青空の瞑想の会 in 目黒不動尊 山下良道(スダンマチャーラ比丘)

法話のなかで言及した番組は、以下です。NHKオンデマンドで視聴できます。

NHKスペシャルキラーストレス 第2回「ストレスから脳を守れ~最新科学で迫る対処法~」

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16/06/12 仏道は必ず行に依りて証入すべきこと

2016(平成28)年 日曜ワンダルマ坐禅会 山下良道(スダンマチャーラ比丘)

仏道は必ず行に依りて証入すべき事
 
右、俗に曰く、学べば乃ち禄その中に在りと。仏の言わく、行ずれば乃ち証その中に在りと。未だ嘗て学ばずして禄を得る者、行ぜずして証を得る者を聞くことを得ず。縦い行に信法頓漸の異ありとも、必ず行を待って超証す。縦い学に浅深利鈍の科ありとも、必ず学を積んで禄に預る。これ乃ち独り王者の優と不優と天運の応と不応とに由るべきにあらざるか。もし学にあらずして禄を受くれば、誰か先王理乱の道を伝えん。もし行にあらずして証を得れば、誰か如来迷悟の法を了らめん。識るべし行を迷中に立て証を覚前に獲ることを。時に始めて船筏の昨夢を知って、永く藤蛇の旧見を断ず。これ仏の強為にあらず、機の周旋せしむる所なり。況んや行の招く所は証なり、自家の宝蔵外従り来らず。証の使う所は行なり、心地の蹤跡あに廻転すべけんや。然れどももし証眼を廻らして行地を顧みれば、一翳の眼に当るなく、将に見んとすれば白雲万里。もし行足を挙して証階に擬すれば、一塵の足に受くるなく、将に踏まんとすれば天地懸隔。ここにおいて退歩せば仏地をぼっ跳せん。

中日文化センター 7月からの新講座

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東海地方の皆さま、今年の後半にまた、名古屋の栄にある中日文化センターで、6ヶ月連続の講座があります。毎月、第一火曜の13:00〜14:30です。第一回は、7月5日(火曜)スタートです。

講座の題は、「仏教3,0から読み解く般若心経」です。以下が内容。

「大乗経典のなかで最も有名で人気のある「般若心経」。その真意は理解がしがたいです。ところが、仏教を「アップデート」してゆく運動体ととらえると、般若心経こそ仏教史の上で一番大きな「アップデート」のスリリングな表現であったと分かります。その世界を描写したのが「般若心経」です。この視点から、般若心経の言葉を丁寧に読み解きます。7月からの6カ月講座。」

平日の午後という時間帯ですが、是非おいでください。終わってから、時間ありますから、皆でお茶を飲めると思います。どうぞよろしくお願いします。

お申し込みはこちらから

新宿朝日カルチャーセンター 6月の講座

新宿住友ビルにある、朝日カルチャーセンター新宿教室で、月に二回講座をもっています。今年も、6月、7月、8月、9月と予定されています。通例ですと、木曜の午後6時半〜8時半にあります。月の一回目が講義中心、二回目が講義と瞑想実践になります。

2013年秋に出版された「アップデートする仏教」のなかで提唱された「仏教3.0」。伝統的な日本仏教から、二回の「アップデート」を経て開かれてくる21世紀の仏教のかたち。そのアップデートの詳細を検討することが、2500年の仏教史の総括になってゆく。この入門シリーズでは、日本の禅、パーリ経典のテクストを丁寧によみながら、「仏教3.0」の生まれてくる必然性を分析します。あわせてその実践である「ワンダルマメソッド」による、自分自身の本質である青空を自覚する瞑想をおこないます。

6月9日(木曜)、23日(木曜)のお申し込みは以下からどうぞ。      

仏教3.0入門 理論と実践 学道用心集を読む(

【6月】学道用心集を読む(2)
続く第二章、第三章では、坐禅修行してゆくうえで大事なのは、今までのものの見方の延長ではなく、世界観そのものに大きな転換がなければならないと論じる。その転換は、単に学問をするだけでは起こらず、行ずることによってのみ可能になってくる。学と行との違いを明確にして、行によってのみ開かれる「証=さとり」の世界への入り方を明らかにする。迷いの中に行じ、覚りの前に証を獲るとは何か。

過去の講義のレジュメです。

普勧坐禅儀のテクスト 

朝日カルチャー講義レジュメ 2016/1/28

朝日カルチャー講義レジュメ 2016/1/14

朝日カルチャー講義レジュメ 2015/12/24  

朝日カルチャー講義レジュメ 2015/12/10

16/05/29  「正覚」からの初発心のみ、最後まで続いてゆく

2016(平成28)年 日曜ワンダルマ坐禅会 山下良道(スダンマチャーラ比丘)

正法眼蔵随聞記 1−13

 夜話に云く、祖席に禅話をこころへる故実は、我が本より知り思ふ心、次第次第に知識の詞に随ひて改めもて行なり。仮令仏と云は、我が本より知たりつるやうは、相好光明具足し説法利生の徳ありし釈迦弥陀等を仏と知りたりとも、知識若し仏と云は蝦蟇蚯蚓と云はば、蝦蟇蚯蚓を是ぞ仏と信じて日比(ひごろ)の知解を捨つべきなり。此の蚯蚓の上に仏の相好光明、種種の仏の所具の徳を求むるも猶情見あらたまざるなり。只当時の見ゆる処を仏と知るなり。若し此の如く詞に随て情見る本執をあらためもて行かば自ら契ふ処あるべきなり。然あるに近代の学者、自らの情見を執し己見を本として仏とはかふこそあるべけれと思ひ、亦吾が存ずるやうに差へば、さはあるまじいなんどと云て、自らが情量に似たることやあらんと迷ひありくほどに、大方仏道の精進なきなり。亦身を惜まずして百尺の竿頭に上りて、手足を放て一歩を進めよと云ふ時は、命ありてこそ仏道も学すべけれと云て、真実に知識に随順せざるなり。能能(よくよく)思量すべきなり。