一法庵の歩み
開闢落慶 1985年11月10日 一法菴開闢落慶啓白文
開山 飯田利行博士(僧名は一法利行大和尚)駒澤大学、二松学舎大学教授等を歴任。東京四谷の全長寺、南足柄市天王院の住職を務める。曹洞宗を代表する学僧として宗門僧侶に漢詩(引導法語)の作り方の指導をする。著書多数。特に良寛の研究で高名。
開基 山下良章 一法庵殿基真良哲大居士
山下良道の父である山下良章は、都立田園調布高校の生物の教師をした後、独学で司法試験に合格し(第十九期)、東京の銀座で法律事務所を構えて長いあいだ弁護士(東京第二弁護士会所属)として活躍してきました。山下良章は戦時中は、海軍機関学校生徒として祖国防衛のためにお国に命を捧げる訓練をしてました。終戦間近になると、回天という人間魚雷で特攻攻撃に出陣する兵士たちを見送りました。終戦後は復員船に乗り、戦地からの引き揚げ業務に携わったあと、大学に進みました。
還暦を過ぎた頃、自分の生涯の仕上げとして、ご縁を頂いた鎌倉稲村ヶ崎の地に一法庵の建立を志しました。田園調布高校の教師時代に知り合った飯田利行博士に相談したところ大いに賛成されて、飯田博士を「開山」として招聘し、無事に1985年11月10日に堂宇が竣工され、落慶法要も行われました。その間の経緯は、一法菴開闢落慶啓白文に詳細に書かれてますので、どうぞ読みください。漢文、訓読文、現代語訳の構成になってます。一法庵の建立にあたり、関係者のどういう願いが込められてるかが理解して頂けるでしょう。
一方、息子である山下良道は、大学卒業後、1982年に兵庫県美方郡浜坂町(現在は新温泉町)の紫竹林安泰寺に入門し、翌年4月8日(降誕会)に、藤田一照師とともに、曹洞宗の出家得度を受けました。その後、安泰寺、四国の新居浜市にある瑞應寺専門僧堂などで修行を続ける中、一法庵は山下良章が週末を過ごす場所として使われていました。その間、海軍時代の先輩達を含む先の戦争の犠牲者の鎮魂のための法要、飯田博士による良寛詩の講義(下の写真を参照)、俳句の会などが活発に行われました。
山下良道は日本の道場での修行のあと、曹洞宗から開教師として派遣されて1988年より、アメリカのマサチューセッツ州のヴァレー禅堂、続いてイタリアのファーノのステラ・デル・マリーノ禅センターにて、欧米の人達への坐禅の布教に努めました。日本に帰国後は、京都曹洞禅センター(京都府園部町)、自らが設立した渓声禅堂(高知県東津野村)などで坐禅指導したあと、2001年にアジアの仏教国に向かいました。ミャンマー、スリランカでテーラワーダ仏教、インド、ネパールでチベット仏教の勉学に努めたあと、2006年夏に帰国しました。その頃、父である山下良章は高齢のために、東京大田区の自宅から鎌倉の一法庵まで通うのが困難になっていました。そこで世代交代し、山下良道の日本での活動の本拠地として使われるようになりました。こうして遂に、一法庵が本格的な修行道場として機能し始めたのです。準備期間を経て、2007年7月から、毎週末の瞑想会が定期的に行われるようになりました。同時に、毎週の法話をポッドキャストとして発信し始めました。これまでのすべての法話はこちらから聞くことが出来ます。
一法庵の宗旨=ワンダルマ仏教
ワンダルマ仏教?
山下良道が、2007年以来、鎌倉一法庵を中心に日本各地、及びインドや台湾などで教えてきたものは、「ワンダルマ仏教」という名称で呼ばれます。曹洞宗の教えとも、テーラワーダ仏教の教えとも違いながら、同時にそれらを全て含んだのが「ワンダルマ仏教」ですが、それは一体何かを解説いたします。
ワンダルマの考え方と似ているものに、チベット仏教の伝統の中のリメ(超宗派)運動があります。その運動の牽引者たちは、チベット仏教の宗派間で見解の相違による対立があった時、自分達の現在地で相手を論破することだけを目的とするような不毛な論争に陥るのではなく、何よりも謙虚にインドの学僧たちの見解を遡ってゆき、最終的に釈尊に立ち戻ることを目指してきました。その代表者が、20世紀前半に活躍されたジャミャン・ケンツェ・チョキロドロ・リンポチェ(1893 – 1959)ですが、その方の転生者であるゾンサル・ジャミャン・ケンツェリンポチェ(1961〜 )に、一法庵活動の準備期間中(2007年5月 於:高野山)にお会いして、二週間にわたる一対一の徹底的な対話を経たことで、ワンダルマ仏教という方向性が、一法庵の活動の根幹として固まりました。
では、そもそもワンダルマ仏教とは何か?それを理解するために、まず2500年の仏教の歴史を俯瞰してみましょう。北インドの釈迦族の王子としてルンビニ(現在はネパール)の地でお生まれになったシッダールタ王子は、29歳の時に、すべての人間が生まれてしまった以上避けられない苦しみからの解放を求めて、カピラヴァストゥの宮殿を抜け出て森の中に入って行きました。6年の修行のあと、ブッダガヤの菩提樹の根元で、苦しみから完全に解放される真理(ダルマ)を発見され、仏陀(目覚めた人)となります。その後、自分が発見した真理を一番理解してくれるであろう昔の修行仲間(五比丘)に会いに、ヴァラナシの近くの鹿野園まで向かい、そこで他者への真理の伝達というダルマ・トランスミッションに無事成功しました。そのときから、仏教は仏陀個人のものではなく、人類の共通の宝になりました。
現存する三つの伝統
仏陀は人類を苦しみから救うための布教活動に一生を捧げられたあと、80歳でクシナガラの沙羅双樹のもと涅槃に入られました。その後も、仏教のサンガは順調に発展してゆき、その教えはインド国内の隅々まで広まったあと、紀元前後頃には国境を越えて海外にまで広がってゆきました。現在までに、その多くは記録にも残されていない複雑に入り組んだ展開があったわけですが、21世紀に現存している仏教から推測すると、主に三つのルートで伝えられたと考えられます。
1,テーラワーダ仏教(パーリ語経典に依拠する)
インド → スリランカ → ミャンマー、タイなどへ広がる(カンボジア、ベトナムの一部へも)
2,東アジア大乗仏教(漢訳経典に依拠する)
インド → シルクロード → 中国 → 朝鮮半島 → 日本(台湾、ベトナムなども同じ流れ)
3, チベット仏教 (チベット語経典に依拠する)
インド → ヒマラヤ山脈 → チベット(周辺のネパール、ブータン、モンゴルなどにも)
現在地球上を見渡すと、この三つの地域に伝わってきた教えが、これまでの活動範囲を更に超えて欧米等にまで広がってる様子が見て取れます。三つの伝統は傘下に沢山のお寺等を擁し、僧侶たちがその中で勉学、修行し、その成果を一般の信者達と共有することで、仏教が社会の中に深く溶け込んでいます。交通機関が発達した現在では、我々はどの地域のお寺にも実際にゆくことができて、そこに在住されてる僧侶の方に教えを請うことができます。場合によっては一緒に修行することも可能になりました。つまり、いままでテクスト上でしか知り得なかった他の伝統の「現場」に行き、その場の雰囲気を体感することが、ほんの少しの志があれば誰にでも可能になったのです。歴史上に時々出現した例外的な冒険家(河口慧海師など)ではなくても。
江戸時代に日本のどこかの村で生まれた人にとっては、その村に唯一あるお寺の和尚さんの教えが仏教の全てでしたが、21世紀の今は、状況が全く違います。わざわざ海外に行かずとも日本にいながらでも、テーラワーダ仏教の長老達、チベット仏教のリンポチェ達から、日本語で直接ダルマを教わることができます。
では、何故、日本仏教以外の他の伝統もわざわざ学ばなければいけないのでしょうか?それは一つの伝統の中に留まっている限りは、どうしても突破できない限界がそこにあるからです。その限界を感じたとき、他の伝統に真摯に向かいあうことを通して、様々な伝統の根源にいらっしゃる仏陀その人が見えてきます。その場所に戻ることが限界突破のための唯一の方法だからです。
東アジアの大乗仏教の伝統の中に生まれて
私は東アジアの大乗仏教の中で生まれ育ちました。山下家のルーツは石川県の能登にあって、その地は「能登はやさしや土までも」と言われるほどに、浄土真宗のお念仏が風土に染みこんでいます。子どもの時は学校の休みの殆どの期間を祖父母の家で過ごし、その地の信心の空気をたっぷりと吸いました。成人してからは、曹洞宗の中で出家得度して、澤木興道老師、内山興正老師の伝統で只管打坐の修行を約18年続けました。
(アメリカ開教師時代、マサチューセッツ州のヴァレー禅堂にて。私が左側で、右に座っているのが藤田一照師。1990年頃)
只管打坐とは次ぎのような大前提、世界観を持ちます。我々は最初から清浄であり、完璧(道元禅師の普勧坐禅儀の冒頭の道本円通を参照)である。だから、心が煩悩によって汚れてるから、坐禅によってその汚れをキレイに掃除してゆこう、ということではないのだ。元々清浄なところ、完璧なところに落ち着き、只管に打坐をする、それでもう充分なのだという教えです。道元禅師は「修証一等」と言われ、澤木興道老師は「なんにもならない坐禅」、つまり何かをこれからする必要のないのが坐禅だと言われます。
この考えは、日本の大乗仏教の禅以外の宗派においても基本的には同じです。山下家が所属してきた浄土真宗では、我々は煩悩具足の凡夫だけども、同時に西方浄土にいらっしゃる阿弥陀仏によって既に救いとられている存在なのだ。お念仏という努力によってお浄土に行くのではない。既に救われてることを感謝するのがお念仏なのだと教えられます。只管打坐と全く同じ論理構造です。日本の大乗仏教は、宗派の違いはあっても、その根っこにある大前提はこのように全く同じなのです。
「我々は最初から清浄である、完璧である」という大前提が素直に納得できたらいいのですが、やはり実感できない、リアルに感じられないことが、曹洞宗の修行者には大きな壁として立ちはだかります。でも、曹洞宗の中にいる限り、この大前提を直接確かめようとしても確かめる手段がなく、虚しく堂々巡りになってしまうのです。そこで、この大乗仏教の大前提が、いったいどこから来たのかを、曹洞宗が成立する以前に遡って、探ることは出来ないでしょうか?もしそれが出来たら、行き詰まりをなんとか打破できるのではないでしょうか。今まで確かめようがなかった大前提を、自分自身でリアルに直接に確認できたら、つまり、我々は本当に最初から清浄であり、完璧であると、心から納得できたら、その時、問題は一気に解決するでしょう。後は、自信をもって只管打坐するだけ、お念仏してゆくだけになります。
大乗仏教の起源へ
では、そもそも大乗仏教とはどこから来たのかから、話を始めましょう。あえて簡略化すると、仏教は次ぎのような歴史を辿ってきました。仏陀が涅槃に入られたあと、あとに残されたサンガ(僧侶の集まり)は複雑な展開を繰り広げましたが、紀元前後のころ、大きく二つに分かれてしまいました。大乗仏教という新しい運動が起こったからです。その流れに積極的に飛び込んだひと達と、飛び込まなかったひと達の二つに分かれてしまったのです。こうして二つの仏教が誕生しました。
釈迦牟尼仏陀 → 初期の仏教 → 大乗仏教
↘ 大乗仏教を拒否 → テーラワーダ仏教
大乗仏教に行かなかったひと達の伝統は、紆余曲折を経ながら、現在ではスリランカからミャンマー、タイへと広がってテーラワーダ仏教として生き残ってます。
大乗仏教の流れは、インドからシルクロードを経由して東アジアの漢字文化圏へ到着しましたが、中国の国家事業として仏典が漢訳されて大いに栄えました。朝鮮半島を通って、我が国にも到達し、日本は大乗仏教の国になりました。また六世紀以後、ヒマラヤのすぐ北にあるチベット高原にも広がってゆきました。
以上は極めて大雑把にまとめた仏教の歴史ですが、では曹洞宗の中で、その只管打坐を成り立たせる大前提を直接確かめられずに行き詰まっていた我々は、この状況を俯瞰したうえで、どう行動すべきでしょうか?どうやらテーラワーダ仏教に何か大きなヒントが隠されていそうだとわかります。何故なら、大乗仏教が興隆する以前の仏教が持っていた根本的世界観を、細部はともかくとして、本質のところでは今でも変えずに伝えていそうだから。その古くからの世界観と大乗仏教の新しい世界観を比べると、何かが見えてくるのではないでしょうか?大乗仏教が生まれてきた秘密もわかるかもしれない。
具体的な道筋として、大乗仏教の伝統の中で何十年も徹底的に修行(只管打坐)して、その世界観が骨の髄まで染みこんだ人間(私)が、一旦それをすべて棚上げにする。その上で、完全に真っ白な気持ちで、現在のテーラワーダ仏教の中に飛び込んでいったら、きっと何かが見えてくる、、、はず。
ミャンマーへの旅立ち
(ミャンマー時代、パオ森林僧院にて。向こうに見えるのが、パオセヤドーのお住まい。そのバルコニーで、瞑想指導のインタビューが行われます。2001年)
こうして、大乗仏教の「我々は最初から清浄であり、完璧である」という大前提がたぶんないと推測されるテーラワーダ仏教が、果たして実際にどうなっているのかを探りに、2001年の夏、私はミャンマーへ向かいました。日本仏教の枠の外に広がる未知の世界への旅立ちでした。
目的地は、不思議なご縁をいただいたパオ森林僧院(モーラミャイン)というミャンマーで最大規模(約千人が在住)の瞑想道場でした。初めて経験する熱帯の気候に健康を脅かされながらも、パオセヤドーという当代随一の瞑想指導者のもと、テーラワーダ仏教の修行の基本書である『清浄道論』をほぼ文字通りに実践するパオメソッドを、4年間かけて最初から最後までやり遂げました。清浄道論の中身は、タイトル通り心を清浄にする道(方法)です。まさに只管打坐が全否定していた方法の最中に飛び込んだことになります。うーん、やはりここまで違うのか!と今更ながら驚きました。方法も世界観も何もかも違う。この違いは、本を読んだだけで理解することは到底不可能だったでしょう。実際にそのリアルな現場に飛び込んで、正師(パオセヤドー)の指導を受けつつ、サンガの中で仲間の比丘達と一緒に寝食を共にしながら、朝から晩までフルタイムで瞑想修行しないと何も見えてはこなかったでしょう。
こうして、テーラワーダ仏教には、予想通り大乗仏教の大前提が一切なかったことを、改めてリアルに確認できました。根底にある世界観は、まさに大乗仏教の真反対でした。我々の心は清浄でもなければ完璧でもなく、煩悩で汚れきってる。だから、瞑想によって掃除(洗濯)して清浄にしなければいけない。その掃除の方法は、目の前に現れた自分にとって都合が良いものに対して「執着」を持たず、悪いものに対して「嫌悪」という反応をしないで、ただ平静(ウペッカ)に観察(ヴィパッサナー)すること。このような「反応しない練習」を重ねて、執着や嫌悪から生じてくるあらゆる煩悩を段々減らしてゆき、最後にはゼロの状態を目指すという修行でした。煩悩がゼロになった状態こそ、涅槃とも悟りとも言われるものでした。
ここまでなら、大乗仏教とテーラワーダ仏教は、真反対の世界観に立ち、異なる方法を用いて、根本的に違うゴールを目指していることになり、両者の間には妥協の余地はなく、相容れない関係になります。後は、自分がどちらかを選ぶだけです。今まではそのどちらかの地域に生まれてくることで、そのまま大乗仏教徒、テーラワーダ仏教徒になっていたので、自らわざわざ選ぶ必要はありませんでしたが、21世紀の現在は選択肢が地球規模で広がり、自分の意志でどちらかを選ぶことが出来るようになりました。選び取らなかった伝統は、自分には縁のないものになり、お互いに別々の道を歩いてゆくことになります。心の中で、相手のことを下に見ながら。つまり、2000年前に起こった仏教の分裂が、個人のレベルでいま起きつつあるのです。
ところが、、、
パオメソッドの最終段階に起こったこと
私はパオセヤドーに懇切丁寧に指導されて、順調に瞑想の階段を登ってゆき、約3年かけて最後には涅槃(ニッバーナ)へ入って行くことが出来ました。2004年の夏頃でした。ここまでは見事に理論通りの展開でした。『清浄道論』に記述されていることが、もうそのまま瞑想の中で起こりました。文字で読む限りはどこか遠い非現実のお話しと思えたものが、現実の自分の瞑想体験としてリアルに起きてくるのには驚きました。たとえば、自分の身体は骨や筋肉や内臓という物質でできてると思っていたけど、実は光りの粒(ルーパカラパ)で本当は構成されていると知って大いに驚愕しました。ただ、それも一応は予想の範囲なので、世界観そのものが揺すぶられることはありませんでした。
ところが、その最終段階にきて、世界観そのものがひっくり返るとんでもない大逆転劇が待っていたのです。その結果なんと、「我々は最初から清浄であり、完璧である」という、まさにそれがリアルに実感できないために、大乗仏教僧としてあれだけ七転八倒して苦しんできた、因縁の相手であるこの大乗仏教の大前提が、仮説でもなんでもなく、本当に事実としてそうなのだとありありと分かってしまったのです。皮肉なことに、大乗仏教の真反対の立場にあるはずのテーラワーダ仏教の修行をした果てに。なんという皮肉でしょうか。
(ミャンマーを訪問中の母と共に、パオセヤドーの話を伺う 於:ヤンゴン 2002年11月)
その大逆転劇は、テーラワーダ仏教の瞑想修行の最終段階で入って行く「涅槃」のなかで起こりました。そもそも「涅槃」とはどういう状態を指すのでしょうか?ヴィパッサナーという「反応しない練習」を最後まで続けることで、反応がとうとう終わります。ゼロになります。それが涅槃です。まあ、この説明だけでは、いくらなんでも分からないでしょうから、涅槃経のなかの雪山の偈で説明しましょう。その和訳が、日本語の基礎である伊呂波歌(いろはうた)ですから、我々日本語話者とは因縁浅からぬ偈です。昔は弘法大師作とされていましたが、今は作者不詳とされています。
諸行無常 是生滅法 生滅滅已 寂滅為楽 (しょぎょうむじょう ぜしょうめつほう しょうめつめっち じゃくめついらく)
直訳すると、全てのものごとは無常である。つまり、一瞬も止まらず常に生じては滅している。この生じて滅してること自体が、滅し終わった状態が、寂滅であり、永遠の楽である。これがすなわち涅槃。
では、生じて滅してるものとは、そもそもいったい何を指すのでしょうか?それは我々のシンキングマインドのことです。過去の出来事を思い出したり、未来を夢見たり心配したり、一日中あれこれ考え続けてる我々の心。いまこの文章を読んで、その意味を色々考えてる皆さんの思考のことです。普段は、自分がノンストップで考え続けてることすら全く自覚がないほど、このシンキングマインドは空気のような存在になってます。そのシンキングマインドを詳しく観察すると、固まりに見えた思考も、実際はその最小単位と呼ぶべきものが、一瞬一瞬、生じては消えるをくり返してることが分かります。それが、是生滅法ということ。ところが、ヴィパッサナー瞑想をすることで、そのシンキングマインドの活動にもとうとう終わりが来るのです。つまり、生じて滅してること自体が滅し已(お)わる、終了する。それが生滅滅已の意味です。
この生滅滅已の状態を、現代人にわかりやすく説明するために、外科手術を受けるときの「全身麻酔」の喩えを使います。外科医がこの手術には全身麻酔が必要だと判断したとき、まず患者に酸素吸入用のマスクが装着され、腕の静脈への点滴の中に麻酔薬が投薬されると、患者は意識をストンと失います。数時間にわたる手術後に病室に戻って覚醒するまで、一切の思考もなく、夢を見ることもありません。シンキングマインドが生滅滅已した状態とは、この全身麻酔状態にある意識と同じです。
こころは全身麻酔状態にあるから、もはや何かに反応することは出来ません。反応する主体も一時的に消えている。当然、執着や嫌悪もない。その結果、煩悩も生じてこない。心の汚れがゼロになる。だからここが修行のゴール、悟りであり、絶対的な安らぎの世界なのだ。寂滅為楽(じゃくめついらく)とはこの状態を意味します。おお、やっと最終目的地に到達したぞ!めでたし、めでたし!
全くの意味不明な指示を受ける
ところが、この肝心要の時に、パオセヤドーはインタビュー(禅の独参のようなもの、但し衆人環視のなか)で、涅槃に入った瞑想者(私)に向かって実に奇妙なことを言われます。「涅槃に入ったその状態を認識しなさい」と。
えええ、どういうことですか?いま全身麻酔状態なのだから、もはや認識する主体そのもが消失している以上、何かを認識することなどできないはず。失礼ですが、セヤドーの言われることは、全く意味不明ですよ!
ところが、更にその何百倍も意味不明なことが続きます。なんと、涅槃に入った状態(全身麻酔状態)を確かに認識できてしまうのですよ。理論的には絶対に起きるはずがない事態が、実際に起きているのです。自分自身のリアルな瞑想体験として。
すべてが意味不明!
私はこうして、とんでもない謎の渦中に、まさかの瞑想修行の最終段階になって投げ込まれてしまいました。パオメソッドによる瞑想修行の最終段階まで無事に到達しつつあるから、これから帰国して日本の皆さんに瞑想を教えるという、もう最初から成功が約束された人生が待っていたはずなのに、もはや他人に瞑想を教えるどころではなくなりました。
でも考えてみると、私がミャンマーに来た目的は、テーラワーダ仏教の瞑想修行を最後までやり遂げて、その卒業証書を手にして、あとは日本で楽な人生を送ることではそもそもなかった!そうでした、大乗仏教の大前提が生まれた秘密を探るためでした。パオ森林僧院での修行生活に完全に入り込むためにしばらく棚上げにしていましたが、その最初に誓ったミッションが、この土壇場にきて一気に蘇りました。そのミッションの視点から今の状況を照射すると、確かに何が何だか分からない意味不明な大混乱の渦中でしたが、でも、何かとんでもないもの、とてつもなく重要なもの、価値のあるものをどうやら私は発見したらしいと直感しました。では、自分はいったい何を発見したのか?それが皆目分からないのです。そのために先が全く見通せないという大きな不安を抱えていましたが、それとは矛盾するわくわくするような興奮と期待も同時に生まれつつありました。
インドへ、そしてチベット仏教からヒントを頂く
テーラワーダ仏教の枠の中では、この混乱はもう整理ができないことは明らかでしたので、一旦スリランカを経由(ナウヤナ森林僧院に2005年後半の半年滞在)して、2006年1月にインドへ仏跡巡礼に行きました。その間、様々な伝統の本を乱読していくうち、『チベット生と死の書』に出会い、その中のリグパというのが、私が経験したものに一番近いような気がしました。その本のなかのジャミャン・ケンツェ・チョキロドロ・リンポチェのお写真に、こみ上げるような懐かしさを感じたので、これはチベット仏教の中にすべての謎を解く鍵があるのではと思い、チベット僧院がたくさんあるネパールのカトマンズまでゆきました。そこで何人かのリンポチェ達にお会いして、この意味不明な事態を解明する手がかりを求めましたが、正師と思える先生に弟子入り出来ないまま、ボダナートに向かって10万回の五体投地をしてました(それは完了)。このままいても埒が開かないので、しかたなくネパール滞在を切り上げて、日本に帰国しましたが、その翌年2007年5月に奇跡が起こりました。チョキロドロ・リンポチェの転生者であるゾンサル・ジャミャン・ケンツェ・リンポチェが日本にいらしてたのです。そしてなんと、希有なご縁に恵まれて、高野山で二週間に渡って一対一の徹底討論することができました。話し合いの内容については、当時、サンガの仲間に興奮しながら書き送った三通のメールをご覧ください。そのリンポチェとの対話によって勇気百倍いただき、ワンダルマ仏教の活動を2007年7月より、鎌倉一法庵で正式に開始しました。毎週末の瞑想会がスタートしました。
鎌倉一法庵を中心とした活動の開始後も、更に探求は続き、私の仏教への最初の出発点であった内山興正老師の著作『進みと安らい』に掲載された自己曼画の第4図と第5図、そしてそれを巡る哲学者の永井均氏、兄弟弟子の藤田一照師との「仏教3.0」を巡る鼎談などを通して、ようやく全てが整理されました。その過程は、この17年間の法話にすべて収録されています。
(ワンダルマ仏教の出発直前、ゾンサル・ジャミャン・ケンツェリンポチェと、高野山で二週間の対話をしました。左は真言宗延命寺の上田霊宣住職 2007年5月)
これらは何を意味するのか?
では、もう一度まとめてゆきましょう。
何故、全身麻酔状態を認識できてしまうことが、それほどまでに意味不明な謎であると同時に、最重要であり、大乗仏教の大前提そのものとまで繋がるのでしょうか?
問題の核心をおさらいします。ヴィパッサナー瞑想の果てに、いまシンキングマインドが生滅滅已しました。現代的にいうと全身麻酔状態に入りました。ここまでは何の不思議もないです。ただそういう瞑想状態になったというだけの話しです。瞑想の中で色々な不思議なことが起きるのは、普通によくあることです。自分の身体が光りに包まれたりなどは、日常茶飯事です。でもここで問題になるのは、ただ一点に於いてのみ。その全身麻酔状態を認識できてしまうことなのです。原理的に認識できるはずがないのに、認識できてしまうから、その認識を一法庵では長い間「謎のX」と呼んできました。ではそもそも何故「謎」なのでしょうか?もしシンキングマインドだけが唯一の認識主体ならば、今そのシンキングマインドが全身麻酔状態になっている以上、認識主体はもうないはず。つまり認識主体が無い以上、その状態を認識することは絶対に不可能です。
外科手術のなかで全身麻酔を受けたことがある方ならお分かりでしょう。手術後に看護師さんにとんとんと肩を叩かれて起こされるまで、患者はいっさい手術中の記憶はありません。夢もみません。完全に意識は消失してます。でも、ヴィパッサナー瞑想の最終段階はそれとは、ある一点で天と地ほど違います。全身麻酔状態であることは外科手術と同じでも、瞑想の場合はその状態を認識できてしまうのです。それは事実。ファクト。リアルな現実の体験。
さあ、どうしましょう。絶対に不可能のはずのことが、現実としては出来てしまう。この難問を前に我々の常識はフリーズしかけてます。
この後、我々にはいくつかの選択肢があります。
・そんなこと考えてもしようがないでしょうと、これ以上深くは考えない。これは問題から逃げてるだけなので、全く意味ないでしょう。真理の探究者として失格です。
・実は全身麻酔状態になっていないのだ。だから当然認識できるのだ。いえいえ、シンキングマインドが生滅滅已してなかったら、パオセヤドーはすぐ見抜きます。ミャンマーのガチの瞑想指導はそんな甘いものではありません。私もこの状態になる前に、数ヶ月も足踏み状態が続きました。その膠着状態をようやく脱して、自分が今までと全く違う未体験ゾーンに突入したのははっきりと分かりました。セヤドーも私の状態の変化にすぐ気づきました。いまは、そういう時点の話です。
・深く考えれば考えるほど、ますます謎の中に囚われて身動きとれなくなります。でも、あえて強行突破しましょう。でも、どうやって?まず、謎としか思えないその理由を考えましょう。シンキングマインドだけが、認識主体として存在している。そもそもそう考えるから、そのシンキングマインドが全身麻酔状態になったら、それを認識するなんてもう絶対不可能という結論になりました。でも、実際には認識できている。
はい、段々と答えが見えてきましたね。
もう一つの認識主体
それはつまり、シンキングマインド以外に別の認識主体があるということです。
そう一応仮定するなら、すべての謎が解けます。たとえ、シンキングマインドが全身麻酔状態になっても、もう一つの認識主体が機能して、シンキングマインドが全身麻酔状態にいるなと認識できてしまう。それがどこにも無理がない論理的帰結です。
実は、私の禅の正師である内山興正老師が、このことを見事に図解されていました。ご著書の『進みと安らい』(初版は1969年)の中の自己曼画の第四図と第五図をご覧ください。第四図は我々が普段生きてる世界。まさに何か良いもの(金、幸福)を追い求め、何か悪いもの(貧乏、不幸)から逃げようと必死になっています。その世界の中の一人として我々は生きてる(と固く信じてる)。でも、その世界(第四図)の外に、もう一人のわたしがいる。それが第五図です。この世界が第四図でしかなかったら、謎は永遠に解けない。でも、第五図がこの世界の真相なら、いとも簡単に謎は解けます。第五図で表現された、世界の外にいる「もう一つの認識主体」が、第四図の中でシンキングマインドが全身麻酔状態になっていることを、認識してるだけなのです。どこにも謎はないです。
仏性、法身、唯識無境、空即是色
では、シンキングマインドではない、もう一つの認識主体なんて、仏教の教えの中にありましたか?
はい、ありますよ。あるどころの話ではないのです。ここに大乗仏教の最重要タームがずらっと並びます。仏性、法身、唯識無境、空即是色。それらはみな「もう一つの認識主体」のことを表現していたのです。
大乗仏教の大前提である、「我々は最初から完璧であり、清浄である」とは、このもう一つの認識主体のことだったと考えれば、一気にすべての辻褄があいますね。もう一つの認識主体は仏性であり、法身であるから、勿論、それは完璧であり、清浄でもある。
シンキングマインドは、いつも目の前に現れた自分にとって都合が良いものに対して「執着」を持ち、悪いものに対して「嫌悪」という反応をして、その結果煩悩だらけになって苦しんでいました。
もう一つの認識主体は、もう反応はしない。執着と嫌悪無しに全てを観察している。あれ、どこかで聞いたような?そう、実はヴィパッサナーをしているのは、このもう一つの認識主体だったのです。
ヴィパッサナー瞑想において、最後の最後で「もう一つの認識主体」が姿をクリアに現しましたが、実は最初からそれは「ヴィパッサナーする主体」として存在していました。ただ、その時は他にもシンキングマインドもあったので、よく見分けがつかなかっただけでした。つまり、部屋の中に、沢山の人がいるなかに、その一人としてAさんがいても、他の人に紛れてAさんがいるかどうかはっきりしない。でも、Aさん以外が誰もいなくなったとき、ぽつんと残されたAさんを見て、あ、部屋の中に確かにAさんがいる!と発見するようなものです。「もう一つの認識主体」は、ヴィパッサナー瞑想の最初から機能して、それが呼吸を観たり、身体を観察してきました。でも、その時はまだシンキングマインドも同時に存在していたので、何がヴィパッサナー瞑想の主体なのか、状況がよく分からなかっただけなのです。でも、瞑想者が涅槃の中に入り、他のものが全部消え全身麻酔状態になったとき、「もう一つの認識主体」だけは消えなかった。それでようやくその「もう一つの認識主体」が、すべての主人公だったと分かったということです。
すべてが整理されてきましたね。
苦しみの世界が展開する
もう一つの認識主体である法身、仏性があることを理解できなくて、シンキングマインドが唯一の認識主体である、つまり自分であると思い間違いをしている限り、この世界は苦しみの世界になります。
その地獄絵図は次のようなものでしょう。
自分とは誰か?何か?Who am I ? What am I ? について、誰もが次ぎのように思ってます。信じ込んでます。疑うことすらなく。
「自分自身」を構成するものは、まずこの物理的な肉体。その一部である脳という器官には思考する機能(シンキングマインド)があり、心には感情(エモーション)がある。つまり物理的な肉体、シンキングマインド、エモーションの三つで構成されたものが自分である。
もしこの世界観、自己観のままで生きてゆくと、必然的に人生というのは「苦」そのものになります。それを仏陀は、四聖諦の最初の「苦諦」と呼びました。まずこの自分を守るために、あらゆるものと戦わなければいけない。その戦いも戦争のような文字通りのものから、現代では抽象的なものにまで広がってます。
子どもの頃から常に他人と比較されて、あらゆる種類の「偏差値」で外部から評価される。偏差値は学校時代の試験の成績だけにとどまらず、学歴、職歴、運動能力、身体の美醜、収入、家柄、などなど一生涯つきまとう。必死のマウント合戦のなか、自分の偏差値が他人より少しでも高ければ最初は勝てるけど、それを上回るひとがすぐに現れて、最後には全員が劣等感のなかで討ち死にしてゆく。惨めな人生です。
そして、人生後半戦になると、生老病死が次々と襲ってくる。どんなに健康に気をつけていても、最後には「老病死」の波に否応なくのみ込まれてゆく。そこから逃れたひとは有史以来一人もいない。
それではあまりに生きるのが辛すぎるからと、苦しみからの解放を約束する「宗教」が出現します。この世界観のなかで、宗教はどういう位置づけになるでしょうか?この世界のどこかに、つまり私の外に何か特別な存在がある。それは神や仏と呼ばれてきました。その神や仏に救いを求めるのが「宗教」なのだ。神さまや仏さまが我々を苦しみから救ってくれるのだ。でもそれには致命的な欠陥があります。そんな有り難い神さまや仏さまが、果たして本当に実在しているのかどうか、この肝心要のところが人間には確かめようがないからです。特に現代人には、昔の人のような純朴な信仰を持つのは困難になってきています。
そこで自分の外部にある神や仏に頼るのではなく、自力でなんとかしようとします。自分をよく観察すると、私の心は怒りや欲望という煩悩で汚れている。罪深い私、汚れた私、だから苦しむのだ。その汚れを掃除して清浄にしてゆけば、汚れがゼロになった「悟り」という救いの場があるはずだ。という別のかたちの宗教も出現しました。でも、この修行も理論通りにはなかなかうまく行きません。何故なら心の汚れをきれいにしたいという欲望もまた煩悩であるので、再び心は汚されてしまい、根本的自己矛盾から逃れられないから。
このように世間の中で熾烈な生存競争を生きても、世間の外で「宗教」に救いを求めても、最後のところで必然的に行き詰まってしまっていたのが、我々の身も蓋もない現状ではなかったでしょうか?
仏性としてのわたし
この行き詰まりの壁を、苦労の果てに発見した「もう一つの認識主体=仏性、法身」が根本から破壊してくれるのです。「もう一つの認識主体=仏性、法身」を「仏性としてのわたし」としましょう。
まず、自分は色々な種類の偏差値で勝手に外から定義づけられ、貶められる存在ではない。「仏性としてのわたし」に偏差値は当てはめようがないから。
いままで私は生老病死からどうしたって逃れられないと思ってきたけど、「仏性としてのわたし」はそもそも生老病死は存在しない(般若心経では無老死と表現)。
今までの宗教のなかで、神や仏は自分の外部にあるのかないのか確かめようがない頼りない存在だった。でも「仏性としてのわたし」は、しっかりと自分自身で確かめられるから、その存在は疑いようがない。それは汚れや煩悩とは一切無関係の存在。まさに大乗仏教の大前提のとおり、最初から清浄であり、完璧である。大乗仏教のなかで、各伝統の教義の中で「〜とされてきたもの」が、今では自分自身でしっかりとリアルに本当にそうなのだと確かめられます。
この「仏性としてのわたし」の視点からだと、仏典は勿論、聖書すら読めてしまいます。一切の矛盾なく、クリスタルクリアな論理で、聖なるテクストを文字通りに受け止めることができます。いままでどうしても解けなかった謎の数々が解けてゆきます。インドのクシナガラで涅槃に入られたはずの仏陀が、霊鷲山で永遠の命を生きてる(法華経寿量品)ことも、金曜日に十字架の上で亡くなられたイエスさまが、日曜日には復活された(福音書)ことも、もはや無理して信じようとする必要はありません。何故なら、生死する肉体を持った仏陀とイエスが、同時に生老病死を超えた存在でもある事実を表現しているだけでした。
ワンダルマ仏教の誕生
では、最初に戻って、テーラワーダ仏教と大乗仏教の関係はどうなるのでしょうか。今まで考えられてきたようにお互いに無関係で、原理的に対立しあう存在ではないのは明らかです。それどころか、テーラワーダ仏教の瞑想がたどり着く最終地点こそが、大乗仏教が爆誕したまさにその場所になるのだから、お互いの存在がとてつもなく大事で、お互いを必要としているのです。
もうテーラワーダ仏教を小乗仏教として蔑視したり、その逆の大乗非仏説が出てくる余地はありません。どちらも粉々に粉砕されて消え去りました。こうして、2000年前に分裂して二つに分かれた仏教が、いま再び一つになります。それがワンダルマ仏教。
(インドのサルナート美術館にある Buddha Preaching his First Sermon )
いわば2000年前に離縁した二人が、2000年後のいま復縁して結ばれるようなもの。こうしてワンダルマ仏教になったとき、そこには勿論、菩提樹下で静かに微笑んでいられるお釈迦さまがいらっしゃいます。お釈迦さまには、何もかも最初からすべてをお見通しだったのです。
自分が人類に残した瞑想メソッドを、「シンキングマインド=自分」という間違った世界観のもとで、人々が実践してしまうであろうことも、でも、その実践を最後の最後までやれば、「シンキングマインド=自分」ではない、「もう一つの認識主体」が見えてくることも。そして、それこそ自分が伝えたかったものなのだと言われるでしょう。でも、「もう一つの認識主体=仏性、法身」を仮に分かったとしても、後世が傲慢に陥りその母体になった瞑想メソッドを捨てた途端、単に「〜となってることにする」という虚しい概念に逆戻りすることもわかってらした。
後世のアジア各地での伝統どうしの対立、修行者どうしのプライドやエゴの争い、マウント取り合い合戦などが起こることも、すべてお見通しだった。そうした果てに、いつかはワンダルマ仏教が出現することもわかってらした。はい、21世紀のいま、極東の島国でその火蓋が切られました。
この「ワンダルマ仏教」の追求こそが、一法庵の根本的な方向性です。
主な活動
一法庵の活動は、日帰りの瞑想会、宿泊しながらの接心、リトリートにおいて、主に下記のことを実践しています。
- 法話(ワンダルマ仏教をあらゆる角度から追求してます)
- ワンダルマメソッドの瞑想(四大分別観瞑想、慈悲の瞑想、アーナパーナ・サティ)
- 青空の只管打坐(これからの課題です)
- ウォーキングメディテーション(経行)、立禅
- ヨーガ(アーサナ+プラーナーヤーマ)ヨーガの専門家が指導
- 食事、お茶、作務など日常生活におけるマインドフルネスの実践
- 仏典の勉強会
- ダルマシェアリング(質疑応答や感想の共有)
※ 以上を鎌倉一法庵を始めとする各会場でリアルに実践していますが、その様子をzoomを使ってオンライン中継もしてます。遠隔地の方は、オンラインでの参加も可能です。参加の方法は、お問い合わせください。まず、zoomのURLを配信するLINEグループに参加していただきます。
運営方式
- 一法庵の活動は皆さまからの喜捨によりなりたってます。決められた額の参加費を徴収することはありません。参加者の自発的なダルマへのお布施です。
- 鎌倉一法庵及び各会場に設置されている「浄財箱」に任意のお志をお納めください。
- ただし、外部の宿泊施設を利用して行なう宿泊や食事を含む活動(接心、リトリートなど)の場合には、施設にお支払いする実費を徴収させていただきます。
- 一法庵以外の寺社や教会等の宗教施設を会場とする場合、会場に対する御礼の寄付をお願いする場合があります。
- 会場に対しての寄付は、それぞれ会場で案内する方法に従ってください。(例:護摩木を納める、会場が設置している献金箱に任意の額で協力など)